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2019年6月号

ブレインストーミング 脳科学研究の最新事情

 

難聴を治療することで、認知症の進行を抑えることができるのか? 聞くことは耳以外の何処で行っているのか?


 

スティーブン・M スタール


原文の発行日:2017年4月5日掲載

論文:CNS Spectrums (2017), 22, 247–250.

 

【概要】

難聴が認知力の低下と強く関係しているため、難聴を治療することによって、認知症予防や認知症の進行を抑えることができる可能性がある。

論文のポイント

  • いくつもの仮説で、難聴と認知力の低下および認知症との関係を示唆している。
  • 難聴は、脳の萎縮や脳の神経細胞の衰退と関連しているが、難聴を治療すると、細胞の再構築や認知力の向上が見られる。
  • 難聴が認知力の低下をどの程度引き起こすのか、難聴を治療することで、認知力の低下や認知症の発症を遅らせ、脳細胞の可塑性を促進し、細胞の萎縮を抑えられるのではないかという仮説が成り立つ。


はじめに

米国では5万人以上がアルツハイマー病であるといわれている。数多くの臨床研究を行い、脳内に蓄積されるβアミロイドの蓄積を阻害する形で認知症の予防や進行を抑えようとしてきたが、その結果は思わしくない。仮に、2050年までに効果的な治療方法が見つからなかった場合、認知症のあるアメリカ人は、実に14万人にも上るといわれている。認知症に効果的な薬が開発されなければ、運動やパソコンで行う認知課題や難聴を改善することにより脳の可塑性を促す非侵襲的な方法を使用することは薬剤を使うことによる得られる短期的な改善よりもアルツハイマー病の発症を予防したり、認知力の低下を遅らせるより効果的な方法である可能性がある。70歳以上のアメリカ人の約3分の2に難聴があるとされ、2060年には、今よりも倍の人数に増えるとされている。アルツハイマー病患者の爆発的な増加が見込まれるため、難聴の治療がアルツハイマー病患者の増加の波を抑えることができるのかを検証するのは、理にかなっている。



難聴と認知症の相関関係を示す根拠はどこにあるか

難聴単独で、認知力の低下を30%~40%低下させ、全ての認知症の原因になるといわれている。具体的には、軽度難聴は、健聴者に比して10年の間に認知症になる確率が2倍になり、中等度難聴では、3倍、高度難聴では、5倍になる。高齢者と難聴と認知症との関連性は何十年も知られていることであり、このことが、認知症を引き起こす要因になるのではないかという斬新な仮説がでる原因となった。この仮説が正しいとすると、難聴を治療することで認知症の予防やアルツハイマー病の進行を遅らせることができるということである。しかし、この仮説を検証した論文は少ない。



難聴が認知力の低下を引き起こすメカニズム

認知力の低下と難聴との関係を説明するために、主に3つの仮説が提唱されてきた(表1参照)最初の仮説は、共通因子仮説と呼ばれ、難聴と認知力の低下/認知症には、加齢により脳内に共通の脳神経心理学的な変化が起こるもので、一方がもう一方を引き起こすわけではないという仮説である(図1)。この仮説が正しい場合、共通の脳神経学的な疾患に作用すると、両方の状況をよくすることにつながるが、現段階では、アルツハイマー病と難聴を引き起こしている共通する因子に対する治療法は見つかっていない。

表1難聴と認知力低下/認知症の関係を説明する仮説



難聴と認知力の低下/認知症を結び付ける3つの仮説

  • 共通因子仮説:難聴と認知力の低下には共通する脳神経学的な原因がある
  • カスケード仮説:聴覚的な刺激が不足することにより、外出する頻度が減り鬱病や脳への感覚的な刺激の減少につながり、その結果認知力の低下/認知症になる
  • 認知負荷仮説:難聴により、脳の処理が記憶を保つこと以外の聴覚的な処理等のより高等な処理に割かれてしまうため、認知力の低下や認知症につながる

2つ目の仮説は、カスケード仮説というもので、この仮説では、聴覚の感覚が入らないことが直接的に、認知力や他の人との関わりが減少するので間接的に影響しているといする仮説である。(図2)。このことにより、社会的な孤立、孤独感、会話の減少、うつ病が認知力の低下をもたらすといわれているが、難聴を治療することにより聴覚的な入力が増えるので、難聴が認知力の低下を及ぼす要因でなくなることが期待される。

図1共通因子仮説

図2カスケード仮説

3つ目の仮説は認知負荷仮説というもので、脳に過剰な負荷がかかることにより脳の形状が変化をした結果、神経細胞に損傷を及ぼすというものである。(図3Aと図3B)この場合、難聴によって脳が持っている処理量の多くを使ってしまうので、認知力の低下を招くという仮説である。(図3B)

例えば、前頭葉や前側頭葉の領域で高次の音声言語に関わっている領域が失った機能を補うとすると、認知症が進行しても言語理解が保たれるという現象を説明することができる。しかし、本来ある認知力を使い、聴覚処理を補おうとすると、ワーキングメモリーや感覚の処理など他の認知処理に使う予定だったものも使用してしまうのでアルツハイマー病の増悪を招くことが考えられる。

つまり、難聴によって認知的な負荷がもともとある容量を越え、結果として認知的な低下をもたらす。もし、聴覚処理や歪んだ音声を解読するために認知的な負荷がかかるとすると、ワーキングメモリーに悪影響を及ぼす可能性がある。難聴者が認知的な負荷が大きいため、必要な処理ができなくなり、結果として、現存するβアミロイドやタウタンパク質の蓄積から来る脳へのダメージに加え、認知力の低下や明らかな認知症を引き起こす可能性がある。

すなわち、難聴は、脳にとって決していいものではなく、難聴者を対象に脳画像を使った研究によると、聴覚野の減少に加え、側頭葉の萎縮も観察されている。既に動物実験などの結果で知られているように、歪んだ聴覚刺激を傷ついた内耳で受けて刺激が減少する場合は、脳内で再構築が起こることが知られている。人間を対象とした研究より、認知力低下や認知症の初期段階でも難聴が、意味記憶や感覚の統合、音声言語の処理などに関与している側頭葉の萎縮が見られることが分かっている。


仮に、難聴と認知力の低下との間に因果関係があるとすると、聴覚リハビリテーションが高齢者の認知力低下に影響を及ぼす可能性がある。ここでの朗報は、解剖学的な視点でみると、人工内耳を埋め込む手術を受けた後に、第1次聴覚野と第2次聴覚野に神経の再編成が行われ、脳の可塑性の度合いと語音明瞭度検査の成績との直接的な関係が示された。

人工内耳を装用することにより、語彙や記憶力が向上することが知られている。認知症の人とそうでない人に補聴器を装用した場合の認知面への影響を検証した研究結果も、いくらかの希望が持てる結果が出ている。しかし、大枠で見ると、大人数を無作為抽出されたコントロール研究が不足している。(※コントロール群は、治療などを行わない群のこと)

図3A、B 認知負荷仮説

聴覚のリハビリテーションと認知症の予防の研究が少ない理由

 アルツハイマー病の全てのリスク因子(糖尿病、運動、年齢、遺伝、環境、生活習慣、難聴など)の中で難聴は一番研究されていない分野と言えるが、リハビリテーションが進んだ分野であるともいえる。

さらに、ある調査によるとアメリカでは補聴器の装用率は25%以下と低く、補聴器は依然として大きなスティグマが付きまとい、高額で、保険適応になる率も少ない1)。認知症の要因がある患者や、既に軽い認知症になっている患者に対応する専門家にとって、難聴であることは多くの場合、難聴を治療する優先度は低い。

専門家は、(患者側が治療をしたいと申し出た場合に対応する)といった全体的に受身なアプローチから、より主体的なアプロ―チで聴覚を補償することで悪影響を及ぼさず、音声刺激により認知力が向上し、社会とのかかわりが増え、認知的な負荷も軽減されると仮説を立てることができる(図3Aと3B)。

コントロール群をおかない研究結果から、補聴器の使用など、より積極的な方法を使い認知力の低下にアプローチすることが良いという結果も報告されているが、一因として、補聴器の装用を希望する人が、より健康的であり、社会的・経済的な地位が高い傾向にある。このような場合に必要なことは、「ランダム化コントロール研究」を行い、難聴を治療することで、認知症になることが減ったり、進行が抑えられることを見ることが重要である。


概要と結論

認知症の発症を1年遅らせることができる介入方法があるとすると、2060年には、世界で認知症になる人を10%減らすことができる。難聴の治療を行うことで、今効果的な治療法の開発を待っている段階においては、1つの可能性を秘めているといえる。このような研究は推奨されるべきで、より進んだ成果が期待される。

 

参考文献

1). Gorman AM, Reed NS, Lin FR. Addressing hearing loss in adults in 2060. JAMA Otolaryngol Head Neck Surg. In press. DOI: 10.1001




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